高山寺(田辺市)
弘法大師が開創したとされているお寺である。
南方熊楠の菩提寺として有名で、熊楠は生前にもよく訪れ、とくにこの寺苑の一角から数多くの隠花植物を採集したとのこと。
長沢芦雪の「寒山捨得」や「木造聖徳太子考養之像」等の文化財が保存されている。





2014.8.5
和歌山県田辺市
南方熊楠の菩提寺として有名で、熊楠は生前にもよく訪れ、とくにこの寺苑の一角から数多くの隠花植物を採集したとのこと。
長沢芦雪の「寒山捨得」や「木造聖徳太子考養之像」等の文化財が保存されている。





2014.8.5
和歌山県田辺市
tag : ご朱印
鬪雞神社(とうけいじんじゃ)
田辺は熊野街道の大辺路・中辺路(熊野古道)の分岐点であることから、皇族や貴族の熊野参詣の際は当社に参蘢し、心願成就を祈願した。熊野三山の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在である。
『平家物語』などによれば、治承・寿永の乱(源平合戦)の時、社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決めたと言われており、このことより「闘鶏権現」と呼ばれるようになり、後に鬪雞神社(とうけいじんじゃ)という名になった。





2014.8.5
和歌山県田辺市
『平家物語』などによれば、治承・寿永の乱(源平合戦)の時、社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決めたと言われており、このことより「闘鶏権現」と呼ばれるようになり、後に鬪雞神社(とうけいじんじゃ)という名になった。





2014.8.5
和歌山県田辺市
tag : ご朱印
熊野古道
潮御崎神社
無量寺 (串本町)
青岸渡寺
天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。
中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であった。
明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。




2014.8.4
和歌山県東牟婁郡
中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であった。
明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。




2014.8.4
和歌山県東牟婁郡
tag : ご朱印
熊野那智大社
熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。
熊野那智大社は熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後であるとのこと。





2014.8.4
和歌山県東牟婁郡
熊野那智大社は熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後であるとのこと。





2014.8.4
和歌山県東牟婁郡
tag : ご朱印
補陀洛山寺
補陀洛とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳である。
中世日本では、遥か南洋上に「補陀洛」が存在すると信じられ、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称した。
この寺は平安時代から江戸時代にかけて人々が観音浄土である補陀洛山へと小船で那智の浜から旅立った宗教儀礼「補陀洛渡海」で知られる寺である。
境内には渡海船が飾られていた。
船上に造られた屋形には扉が無い。屋形に人が入ると、出入り口に板が嵌め込まれ外から釘が打たれ固定されるためである。
その屋形の四方に4つの鳥居が建っている。これは「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表しているとされる。



2014.8.4
和歌山県東牟婁郡
中世日本では、遥か南洋上に「補陀洛」が存在すると信じられ、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称した。
この寺は平安時代から江戸時代にかけて人々が観音浄土である補陀洛山へと小船で那智の浜から旅立った宗教儀礼「補陀洛渡海」で知られる寺である。
境内には渡海船が飾られていた。
船上に造られた屋形には扉が無い。屋形に人が入ると、出入り口に板が嵌め込まれ外から釘が打たれ固定されるためである。
その屋形の四方に4つの鳥居が建っている。これは「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表しているとされる。



2014.8.4
和歌山県東牟婁郡
tag : ご朱印
熊野速玉大社
熊野三山の一つ。
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。
熊野夫須美大神はもともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶとのこと。
市名の新宮もこのいわれからついたものであろう。




2014.8.3
和歌山県新宮市
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。
熊野夫須美大神はもともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶとのこと。
市名の新宮もこのいわれからついたものであろう。




2014.8.3
和歌山県新宮市
tag : ご朱印
神倉神社
熊野速玉大社の摂社である。
神倉山(かんのくらやま、かみくらさん、標高120メートル)にあり、鎌倉積み石段538段をのぼったところにまつられている。
ご神体はゴトビキ岩と呼ばれる巨石である。
古事記や日本書紀に伝えられる、神武天皇が東征の際に登った天磐盾が神倉山であるとのこと。
熊野権現が諸国遍歴の末に、熊野で最初に降臨した場所であるといわれることより、熊野根本神蔵権現あるいは熊野速玉大社奥院と称される。




2014.8.3
和歌山県新宮市
神倉山(かんのくらやま、かみくらさん、標高120メートル)にあり、鎌倉積み石段538段をのぼったところにまつられている。
ご神体はゴトビキ岩と呼ばれる巨石である。
古事記や日本書紀に伝えられる、神武天皇が東征の際に登った天磐盾が神倉山であるとのこと。
熊野権現が諸国遍歴の末に、熊野で最初に降臨した場所であるといわれることより、熊野根本神蔵権現あるいは熊野速玉大社奥院と称される。




2014.8.3
和歌山県新宮市
tag : ご朱印
深川祭
熊野本宮大社
熊野三山の一つ。
家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神とする。
もともとは熊野川の中州にあったが、明治22年の大洪水で流され現在の場所に遷る。





2014.8.3
和歌山県田辺市
家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神とする。
もともとは熊野川の中州にあったが、明治22年の大洪水で流され現在の場所に遷る。





2014.8.3
和歌山県田辺市
tag : ご朱印
玉置神社
熊野三山の奥の院とも称する。
神武天皇御東征のときこの地で兵を休め「十種神宝(とくさのかんだから)」の「玉」を鎮め(置き)武運を祈願されたことから玉置(たまき)の名前の由来となったと伝えられています。




2014.8.3
奈良県吉野郡
神武天皇御東征のときこの地で兵を休め「十種神宝(とくさのかんだから)」の「玉」を鎮め(置き)武運を祈願されたことから玉置(たまき)の名前の由来となったと伝えられています。




2014.8.3
奈良県吉野郡
tag : ご朱印
成相寺
天橋立を一望する成相山(569m)の山腹にあるが、創建時は山のさらに上方に位置し、修験の道場となっていた。
現在地に移ったのは1400年(応永7年)の山崩れ以降である。
山号は古くは「世野山」と称し、雪舟の『天橋立図』(京都国立博物館蔵、国宝)には、「世野山成相寺」の書き込みとともに当寺が描かれている。
境内から日本三景のひとつ天橋立が一望できる。





2013.8.9
京都府宮津市
現在地に移ったのは1400年(応永7年)の山崩れ以降である。
山号は古くは「世野山」と称し、雪舟の『天橋立図』(京都国立博物館蔵、国宝)には、「世野山成相寺」の書き込みとともに当寺が描かれている。
境内から日本三景のひとつ天橋立が一望できる。





2013.8.9
京都府宮津市
tag : ご朱印