FC2ブログ

大間木氷川神社

創建年代は不詳だそうです。
旧別当寺三光院の先祖がこの地に土着して当社の祭祀を司るようになったものと思われ、三光院で所蔵していた笈が室町時代の漆工芸晶であることから室町期の創建だと考えられています。
社殿は武蔵国一宮氷川神社の造替にあたり、旧本殿を買受けて建立したもののようです。

DSCF8118.jpg

DSCF8121.jpg

DSCF8124.jpg


2015.7.5
埼玉県さいたま市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

涌出宮

一夜にして湧出した森の中にあるとの伝承から湧出宮と呼ばれている神社である。
正式名称は和伎座天乃夫岐賣神社(わきにますあめのふきめのかみやしろ)と言うそうである。

湧出宮縁起では以下のように伝える。
古来より天下の奇祭「いごもり祭」で世に知られる湧出宮は、JR奈良線棚倉駅前の鎮守の森に鎮座する古社である。(旧社格は「延喜式内社・郷社」)創建は今より1200年余り前の、称徳天皇の天平神護2年(766)に、伊勢国渡会郡五十鈴川の畔より、御祭人として此の地に勧請申し上げたと伝えられている。
社蔵の文書(和伎 座天乃夫伎賣大明神源縁録)によれば、御祭神天乃夫伎賣命とは、天照大神の御魂であると記されている。恐れ多く神秘なるが故にかく称し上げたとある。後に田凝姫命 、市杵島姫、瑞津姫命を同じく伊勢より勧請して併祀したとある。尚、この三女神は 、大神とスサノオの命との誓約によってお生まれになった御子である。(涌き出宮大明神社記)

隣町にある祝園神社と対になる奇祭があることでも有名である。
4世紀のころ、祟神天皇の御代に、弟の武埴安彦(たけはにやすひこ)とその妻の吾田媛が背き、木津川をはさんで対陣しました。この戦乱で安彦は負けて首を切られたが、首は祝園に飛び胴体は棚倉に残りました。戦乱の場となったこの辺りでは、多数の戦死者がでました。
 その後当地と対岸に疫病が大流行したので、里人は戦後の災いを恐れ、斎戒して社頭に集まり祈願したと言い伝えられています。祝園神社では、安彦の首を形どった竹輪を引き合い、湧出宮の大松明(おたいまつ)は胴体を形どったものと言われています。

一帯は、弥生期の居住跡として弥生式土器・石器等が出土した地域でもあります。

IMG_3231.jpg

IMG_3232.jpg

IMG_3234.jpg


2015.6.28
京都府木津川市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

白山神社(京都府木津川市)

紫陽花寺としても有名な岩船寺。その隣に古い神社があった。
もとは岩船寺の鎮守社であったといわれています。
全体の様式は室町時代の特徴を示しており、重要文化財に指定されています。併設する春日神社は、江戸時代に白山神社にならって復古的に造立されたものです。

IMG_3216.jpg

IMG_3217.jpg


2015.6.28
京都府木津川市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

祝園神社(ほうそのじんじゃ)

創建は不明のようである。
「新抄格勅符抄」に「祝園神」という語が出てきたりするので、奈良時代に存在したことは確かと考えられている。
第10代崇神天皇の時代に武埴安彦命が謀反を起こしたため討伐されたが、悪霊となってこの地に止まって田畑を荒れさせたため、村人たちは忌み篭もってこの霊を鎮めた、という伝説に基づきいごもり祭りというまつりがとりおこなわれている。
昔は、祭りの間牛や馬を隣村へ預け、一切の音を禁じ、精進料理を食し、居篭ったという。

IMG_3157.jpg

IMG_3159.jpg

IMG_3160.jpg


2015.6.28
京都府相楽郡

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

蟹満寺

この寺の創建年代や由緒についてはついては不詳であるが、周辺の発掘調査から飛鳥時代後期(7世紀末)の創建と推定されている。
その後、江戸時代の正徳元年(1711年)智積院の僧亮範が入寺し再興された。今昔物語集等に記載がある蟹の恩返しの伝承で有名である。
地名綺田(かばた)は、古くは「カニハタ」「カムハタ」と読まれ、「蟹幡」「加波多」などと表記された。
寺号についてもかつては加波多寺、紙幡寺などと表記されたものが蟹満寺と表記されるようになり、蟹の恩返しの伝説と結びつくようになったものであると考えられる。
この伝説が『今昔物語集』に収録されていることから、蟹満寺の寺号と蟹の報恩潭との結びつきは平安時代後期以前にさかのぼることがわかる。

IMG_3150.jpg

IMG_3152.jpg

IMG_3153.jpg


2015.6.28
京都府木津川市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

綺原神社(かんばらじんじゃ)

綺原と書いて「かんばら」と読みます。正式名称を綺原坐健伊那太比賣神社(かんばらにいます たけいなだひめ)と言うそうです。
このあたり字を綺田(かばた)といいます。
綺田は「紙織」、「神織」のことで、神に献ずる衣服を織る技術者及び養蚕技術者を意味しています。
そして、その神織(かむはた)を祀った社が綺原神社というわけです。

IMG_3144.jpg

IMG_3146.jpg

IMG_3147.jpg

IMG_3149.jpg


2015.6.28
京都府木津川市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

神童子 天神社

以前は神童寺の鎮守社の一つでした。
かつて「勝手明神の社」といわれていたといいます。
創建は不明ですが、役行者が飛鳥時代の675年ごろ、ニ神童を寺の鎮守社「 天神神社 」に祀ったと伝承されています。

石造り十三重石塔(1277)は国の重要文化財似指定されています。

IMG_3133.jpg

IMG_3134.jpg

IMG_3137.jpg


2015.6.28
京都府木津川市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

神童寺

古来山岳仏教が栄えていたこの地に金峰山を拠点とする修験者集団の勢力や宗教的影響が及びました。
「神童寺縁起」によると、 この寺は聖徳太子の創建で本尊の蔵王権現像は役行者(えんのぎょうじゃ)がこの山で修行した時二人の神童の助力を得て刻んだと伝えられています。
大和の吉野山に対して北吉野山と号し、一時は付近の山一帯に二十六坊のお堂が存在したことが所蔵の絵図から伺えますが全山焼失し、現在の本堂は応永13年(1406年)に再建されました。

IMG_3139.jpg

IMG_3140-2.jpg

2015.6.28
京都府木津川市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

丁張稲荷神社

塚越五丁目会館の隣に小さな稲荷社がある。
このあたありは、かつては「丁張」という名の田園地帯だった。
この地に住む人々は、豊作を願って小さなお稲荷様を建て、五穀豊穣を願ったという。
明治末頃に神社合併という国策が打ち出され、蕨町においても町内各社を当社に合併することになった。
このときに本殿を和楽備神社の本殿として移築したと言われている。

DSCF8114.jpg

DSCF8115.jpg

DSCF8116.jpg


2015.6.21
埼玉県川口市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

柳崎氷川神社

創建は不明の様である。
江戸時代の『新編武蔵風土記稿』によると、当時、柳崎及び井沼方二村の鎮守であったとの記載が見られる。
本殿の建立年代は、棟札の記述から慶安2年(1649)頃と伝えられるが、現在この棟札は失われている。
その後、明治6年(1873)村社となり、同41年(1908)には、字後町の稲荷神社及び白山社、字西ヶ原の稲荷社を合祀し現在に至っている。

DSCF8101.jpg

DSCF8103.jpg

DSCF8105.jpg


2015.6.21
埼玉県川口市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

プロフィール

Toshi ♪

Author:Toshi ♪
単身赴任中のおっちゃんのブログ。
ぼちぼちやってます。

毎日更新を目標にしてますが、すぐに挫折の日々(笑)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新記事
訪問者数
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR