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不忍池

不忍池はかつて古石神井川が武蔵野台地の東端を割って海ぞいの低地へと注ぎ出ていた開口部に位置する。
縄文時代の頃にはこの辺り一帯は東京湾の入り江であった。その後海岸線の後退とともに取り残されて、紀元数世紀頃に池になったと考えられる。

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2016.4.3
東京都台東区

テーマ : 花・植物
ジャンル : 写真

清水観音堂

比叡山が京都御所の鬼門を守護、王城の鎮護を担うと伝えられるのに倣い、
江戸城の鬼門の守りとして比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立した中の一つです。
なるほど、清水の舞台を思わせるお堂ですね。

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2016.4.9
東京都台東区

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

不忍池弁天堂

不忍池を琵琶湖に見立てて、池の中に竹生島を模した小島を築き竹生島に見立てたのが始まりの様です。
七福神の紅一点弁天様をおまつりしています。

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2016.4.3
東京都台東区

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

千鳥ケ淵 -3

ボートの貸し出し時間前から、多くの人が並んでいました。

確かにお堀の中から桜を眺めるのも気持ち良さそうですね。

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2016.4.3
東京都千代田区

テーマ : 花・植物
ジャンル : 写真

千鳥ケ淵 -2

お花見シーズンの千鳥ケ淵はとても混雑します。
早朝にもかかわらず多くの人が訪れていました。
(時間が経つごとに、人出が増えていました)

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2016.4.3
東京都千代田区

テーマ : 花・植物
ジャンル : 写真

千鳥ヶ淵

恒例の早朝花見に出かけてきた。

千鳥ヶ淵は江戸城拡張の際、局沢川と呼ばれていた川を半蔵門と田安門の土橋で塞き止めて造られたお堀である。
代官町通りを境に接する半蔵濠とはかつて繋がっていたが、1900年(明治33年)に道路建設のため埋め立てられ別々のお堀となったものである。

・・・しばらく桜が続きます。。。

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東京都千代田区
2016.4.3

テーマ : 花・植物
ジャンル : 写真

田子山御嶽神社

創建は天保二年とのことです。
実明講社(御嶽講の一派)の人々が木曽御嶽神社を勧請して創建した様です。
現在は敷島神社の境外社となっています。

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2016.3.21
埼玉県志木市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

敷島神社(志木市)

元々ここには、浅間神社という神社がありました。
そこに、村社の村山稲荷神社・星野稲荷神社と水神社を合祀し、社名を敷島神社と改めたと言われています。
境内の一角に「田子山富士」と呼ばれる堂々とした富士塚があります。
社蔵の「敷島神社縁起」によれば、南北朝期に入り戦乱やむことない乱世にあって、大和国笠置山の僧承海十瀧房は、
万民の塗炭の苦に喘ぐを嘆いて心願を起こし、天下の泰平と国家の安穏を神仏に祈願のため、
富士山に龍り千日の修行を行った。
更に諸国の霊山に詣でる回国の途次当地を来訪し、天台宗鈴甕山東光寺の庵室に滞留中病魔に襲われたが、
病の癒えるを期してこの地を卜し、逆修碑を建立して再び回国の途についたという。

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2016.3.21
埼玉県志木市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

デレーケ堰堤(京都府木津川市)

京都府木津川市の山中に、明治時代の治水の跡が残されていました。
明治初期、御雇技師としてオランダから招聘されたヨハネス・デ・レーケが淀川改修の際試験的に作った砂防工の跡である。
彼はこの後淀川はじめ木曾三川など様々な事業を指導したといいます。

デ・レーケは兼業農家である築堤職人の息子として育ち、土木の技術者となりました。
1873年に明治政府による海外の学問や技術の国内導入制度において、内務省土木局に招かれ、淀川の改修に関わります。
明治初頭の淀川は土砂の堆積が著しいうえ、平均水深は40cm程度でした。
そこで外輪船を導入するのに必要な水深150cmを確保するために、粗朶沈床による水制工が行われました。この工事を、淀川修築工事といいます。
デ・レーケらの技術者が1873年(明治6年)には淀川全川の測量を約1年にわたって実施し、次年より淀川修築工事が本格的に開始されました。
またデ・レーケは淀川水系の各地で砂防工事も行いました。このときの砂防工事の跡のひとつがここの堰堤なわけです。
デ・レーケは砂防堰堤を造っただけでなく、治水に植林が重要であると言う考えを持ち込んだ人でもあります。
このあたりはかつては平城京の建設により、近世においては燃料として木材が使われたため限りなく禿山に近い状態だったといいます。
雨が降るとすぐにも鉄砲水が土砂を押し流し、木津川を経て淀川まで流れ込んだといいます。

今このあたりは緑深い森の公園となっています。

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2016.3.5
京都府木津川市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

芝浦運河を歩く

芝浦は江戸時代には干潟でした。
明治に新橋・横浜間に鉄道が開通すると、温泉旅館や魚問屋から転業した活魚料理の料亭・茶店が軒を連ね、海水浴場、花火や潮干狩りなどの行楽地、花街として賑わっていきました。 
明治後半から始まった東京港湾の埋め立て拡張が進んだことにより、景色も急変しました。
現在のように自動車による輸送が中心になる前、大量輸送の中心として船が使われていました。
こうしてできた運河が、芝浦地区を縦横に通っていました。
近年運河に沿って遊歩道が整備されています。
運河に沿って歩くと、春の風を感じることができました。

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2016.3.20
東京都港区

テーマ : 街の風景
ジャンル : 写真

プロフィール

Toshi ♪

Author:Toshi ♪
単身赴任中のおっちゃんのブログ。
ぼちぼちやってます。

毎日更新を目標にしてますが、すぐに挫折の日々(笑)

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