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狛狼

「日本武尊が東征の際、御岳山から西北に進もうとされたとき、深山の邪神が大きな白鹿と化して道を塞いだ。
尊は山蒜(やまびる=野蒜)で大鹿を退治したが、そのとき山谷鳴動して雲霧が発生し、道に迷われてしまう。
そこへ、忽然と白狼が現れ、西北へ尊の軍を導いた。
尊は白狼に、大口真神として、すべての魔物を退治せよと仰せられた。」
この謂れより、三峯神社では狛犬が狼の姿をしています。
また、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるようになった。
とも言われています。
さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、三峯神社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行っていった様です。
修験者たちが神得を説いて回り、三峯神社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を中心として信州など各地に組織されていった様です。

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2016.10.29
埼玉県秩父市
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テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

秋の訪れ

ついこの間まで暑い日が続いていたと思ったが
急に寒くなってきた様に感じる。
自然はよくできたもので、きっちり秋の彩を見せてくれる。
奥秩父の山々は、色づき始めていた。


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2016.10.29
埼玉県秩父市

テーマ : 風景写真
ジャンル : 写真

苔むした樹

天岩戸神社近くにあった、苔むした樹。
すぐ下には宮川が流れているため、湿気が多く苔が茂っているのだが
それだけではない何かを感じざるを得なかった。


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2016.10.9
京都府福知山市

テーマ : お散歩写真
ジャンル : 写真

真っ赤

ネタ切れである。

皇大神宮の参道脇の家の前に置いてあった。
とても鮮やかだった。

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2016.10.9
京都府福知山市

テーマ : お散歩写真
ジャンル : 写真

鬼嶽稲荷神社(福知山市)

「おだけいなり」と読む様です。
大江山は「御嶽」と呼ばれていた様です。

現在の鎮座地は大江山の八合目、頂上までは約1kmの場所で、海抜約610mのブナの原生林に囲まれた中にあります。
昔、神社はもっと頂上近くにあったといわれています。
社伝によると、往古四道将軍として当地へ来た丹波道主命が、父、日子坐王の旧蹟に神祠を建立したと伝えています。 
また、この一帯に修験の遺跡も多く残っているようです。
社殿が現在地に移されたのは、19世紀中頃の弘化年間と思われ、この時、伏見稲荷大社の分霊を勧請し、鬼嶽稲荷と名を改めた様です。

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2016.10.9
京都府福知山市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

大原神社(福知山市)

大原神社は安産の神として広く信仰を集めています。
創建は『丹波誌』によると仁寿二年(852年)3月23日、桑田郡野々村(現南丹市美山町字樫原)に鎮座、 弘安2年(1279年)9月28日に大原へ遷座、応永4年(1379年)10月13日に社殿が整ったとされています。
しかし社伝によると創建は仁寿二年と伝えられ、元宮の大原神社(美山町鎮座)は大化元年(645年)の創建と言い伝えられています。
大原神社には『大原神社本紀』という大原神社の縁起を書き綴ったものが5点残されており、大原神社が安産の神として信仰を集める所以として、 「邪那岐と伊邪那美の神は天下万民を生み出した父母であるのだから、天下太平・国土安隠・宝祚長久・五穀能成・万民豊饒を守護すること、 他所の神社に勝り、天下万民を生み出した神なので、ことに婦人の安産を守る神なのである」と記されています。

近くには産屋と呼ばれる出産の折に籠る建物があります。十二把のワラ(閏年は十三把)を持ち込み、出入口に魔除けとして古鎌を吊り、七日籠って出産していました。この習俗は大正年間まで続き、また、産後三日三夜籠る習慣は昭和23年頃まで続いていた様です。

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2016.10.9
京都府福知山市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

壹鞍神社(綾部市)

綾部の郊外を走っていると、立派な鳥居が目についた。
丁度秋祭りの季節であろうか、幟が建てられていた。
決して大きな神社ではないが、りっぱなお社が祀られていた。

凡そ今から600年の昔応永元年(1394)6月19日洪水の夜、壹鞍神社の神様が濁流に押し流された。
ところが幸いな事に川の中あった馬の背の形をした岩のところでやっと止まった神様は、はい上がろうとして岩に生えていた「うらじろ(草の名前で正月にの飾りに良く使う)」を掴んだが抜けて上れなかった。
そこで神様は「ささ(笹)」を掴んで岩の上に上られたと言い伝えられている。
村人は岩の上にあった神像を十倉山の麓に祠を建て壹鞍大明神としてお祀りし、この神聖な地を「鞍岩」と呼びしめ縄を張り不浄を禁じたと言う。

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2016.10.9
京都府綾部市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

黒谷和紙工芸の里

廃校となった小学校の跡地を利用した施設である。
黒谷和紙は800年の伝統を持つ手すき和紙である。
和紙づくりの工程、作品の展示や職人の紙漉き技術の見学、紙漉き体験ができる様である。

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2016.10.9
京都府綾部市

テーマ : 建物の写真
ジャンル : 写真

日本の鬼の交流博物館

酒呑童子ゆかりの大江山麓に、鬼の博物館がある。
廃坑となった銅鉱山の跡地に"町おこし"として建設された様である。
全国あるいは世界中の伝統芸能やそこで用いられる面、人形あるいは屏風画などを展示されており、鬼の多面性を紹介している。
大江山には3つの鬼伝説が残されている。
・酒呑童子伝説
 時は平安朝、一条天皇の頃。西暦1000年前後、京の都は栄えていましたが、それはほんの一握りの摂関貴族たちの繁栄であり、世の中は乱れに乱れ民衆は社会不安におののいていました。そんな世の中で、酒呑童子は王権に叛き、京の都から姫君たちを次々にさらっていたのです。
 姫君たちを奪い返し酒呑童子を退治するため大江山へ差し向けられたのが、源頼光(みなものとのよりみつ)を頭に藤原保昌(ふじわらのやすまさ)並びに四天王の面々、坂田公時(さかたのきんとき)、渡辺綱(わたなべのつな)、ト部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)ら6名です。
 頼光ら一行は山伏姿に身をやつし、道中、翁に化けた住吉・八幡・熊野の神々から「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」を与えられて道案内をしてもらい、途中、川のほとりで血のついた着物を洗う姫君に出会います。一行は、姫君より鬼の住処を詳しく聞き、酒呑童子の屋敷にたどり着きました。
 酒呑童子は頼光一行を血の酒と人肉で手厚く歓待しますが、頼光たちは例の酒を童子と手下の鬼たちに飲ませて酔い潰し、童子を返り討ち、手下の鬼共も討ち果たします。捕らえられている姫君たちを救い出し、頼光たち一行は都へ上がりました。
 討ち取られた酒呑童子の首は、王権に叛いたものの見せしめとして川原にさらすため、都に持ち帰られますが、途中、丹波、山城の国境にある老の坂で急に重くなって持ち上がらなくなり、そこで葬られたといわれています。

・日子坐王の鬼退治
 日子坐王とは祟神天皇の弟にあたり、四道将軍として丹波に派遣された丹波道主命(たにはみちぬしのみこと)の父にあたります。当地方最古の伝説として日子坐王の土蜘蛛退治物語があり、「丹後風土記残缺(たんごふどきざんけつ)」に収められています。
 それによると、祟神天皇の時、青葉山中に陸耳御笠(くがみみのみかさ)・匹女(ひきめ)を首領とする土蜘蛛がいて人民を苦しめたので、日子坐王が勅命を受けて討ったというもので、その戦いとかかわり、鳴生(成生)、爾保崎(匂ヶ崎)、志託(志高)、血原(千原)、楯原(蓼原)、川守(河守)などの地名縁起が語られています。

・麻呂子親王の鬼退治
 用明天皇の時、河守荘三上ヶ嶽(現在の大江山)に英胡(えいこ)・軽足(かるあし)・土熊(つちぐま)という三鬼を首領とする悪鬼が集まり庶民を苦しめていました。天皇は、用明天皇の皇子で、聖徳太子の異母弟にあたる「麻呂子親王」に征伐を命じます。
 命をうけた親王は、七仏薬師の法を修め、兵をひきいて征伐に向かいました。その途中、篠村のあたりで商人が死んだ馬を土中に埋めようとしているのを見て、親王が「この征伐利あらば馬必ず蘇るべし」と誓いをたて祈ると、たちまちこの馬は地中でいななき蘇りました。掘り出してみると俊足の竜馬でした(ここを名づけて馬堀といいます)。親王はこの馬に乗り、生野の里を通り過ぎようとしたとき、老翁があらわれ、白い犬を献上しました。この犬は頭に明鏡をつけていました。親王はこの犬を道案内として雲原村に至り、ここで自ら薬師像七躰を彫刻しました。この地を仏谷といいます。そして親王は鬼賊を征伐することができればこの国に七寺を建立し、この七仏を安置すると祈誓しました。
 それから河守荘三上ヶ嶽の鬼の岩窟にたどりつき、首尾よく英胡・軽足の二鬼を討ちとりましたが、土熊を見失ってしまいました。そこで、さきの鏡で照らしたところ、土熊の姿がその鏡にうつり、これも退治することができました。末世の証にと土熊を岩窟に封じこめました。(土熊は逃れて竹野郡に至り、ここで討たれたという説もあります)
 鬼退治を終えた親王は、神徳の加護に感謝して天照大神の神殿を営み、そのかたわらに親王の宮殿を造営しました。鏡は三上ヶ嶽の麓に納めて犬鏡大明神と号しました。(かつて大虫神社の境内にあったといわれています)
 また、仏徳の加護に報いるため、宿願のとおり丹後国に七か寺を造立し七仏薬師を安置しました。この七か寺については、享保二年(1717)の「多裲寺縁起」によれば、加悦荘施薬寺・河守荘清園寺・竹野郡元興寺・竹野郡神宮寺・構谷荘等楽寺・宿野荘成願寺・白久荘多裲寺の諸寺とされますが、諸説のあるところです。

  (日本の鬼の交流博物館HPより)

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2016.10.9
京都府福知山市

テーマ : 建物の写真
ジャンル : 写真

天岩戸神社(福知山市)

皇大神社の脇の林道を10分ほど登ったところに、天岩戸神社があった。
神社は道路から川に降りたところにある様である。
社殿は岩盤の上に建てられており、参拝するためには備え付けの鎖で登る必要があると聞いていたのだが
前日の雨のために川が増水して近づくことができなかった。

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2016.10.9
京都府福知山市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

豊受大神社(福知山市)

豊受姫命は、雄略天皇の時に丹波国から遷宮して伊勢神宮外宮に祀られたとされる。この神社はその元伊勢伝承地の1つで、豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮であるとの伝承から、「元伊勢外宮」とも言われている。
延暦23年(804年)の『止由気宮儀式帳』に、雄略天皇が天照坐皇太神の夢託を蒙り、御饌都神(みけつかみ)として等由気太神(豊受大神)を丹波国から伊勢に迎えたのが外宮であると記されている。このことよりこの神社は雄略天皇22年に伊勢へ遷座したその故地であるといわれている。

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2016.10.9
京都府福知山市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

皇大神社 (福知山市)

伊勢神宮の祭神である天照大御神は、古くは宮中に祀られていた。この状態を畏怖した天皇の命で、崇神天皇6年から鎮座地を求めて各地を転々とした。垂仁天皇25年最終的に伊勢に落ち着くが、それまでの間に訪れた一時遷座地は、各地で元伊勢として語り継がれた。
そうした元伊勢伝承地の1つとされている神社である。
『倭姫命世記』に、崇神天皇39年、天照太神を奉じた豊鋤入姫命が鎮座地を求めて但波(丹波)国へ遷幸し、吉佐宮を築いて4年間奉斎したと記すが、社伝によれば、当神社はその旧跡であり、天照大神が吉佐宮から遷座した後もその神徳を慕った人々が引き続き伊勢神宮内宮の元の宮として崇敬してきたといい、元明天皇朝(707 - 15年)に社殿を建立したという
。また、それとは別に、用明天皇の皇子麻呂子親王が当地の兇賊を成敗するに際して勧請したものであるとの異伝もある(宝暦11年(1761年)の『丹後州宮津府志』[4] 所引『天橋記』)。 [Wikipediaより]

元伊勢と呼ばれるのにふさわし雰囲気を持つ神社であった。

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2016.10.9
京都府福知山市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

別所沼弁財天(さいたま市)

別所沼公園の池に小島がある。
その小島には祠があって弁財天が祀られていた。
創建は昭和二年、この島を構築した小島長次郎氏によって東京、深川の洲崎神社から分祀された様である。

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2016.10.2
埼玉県さいたま市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

西堀氷川神社(さいたま市)

応永年間(1394~1428)に武蔵一宮の氷川神社を勧請して創建した様です。
田島氷川社に対して上の宮と称されていた様です。
本殿は、江戸中期から後期に建造された二間社流造り杮葺きの優美な建築で、市指定文化財となっている。

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2016.10.2
埼玉県さいたま市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

須黒稲荷神社(さいたま市)

東北・上越新幹線の高架沿いに小さな神社があった。
創建等の由緒は不明のようである。
境内に掲示されていた案内はかすれて読めなかったが、もしかしたら由緒等が記載されていたのかもしれない。
この辺りでは新幹線建設による調査で、旧石器時代~古墳時代に及ぶ遺跡が発見された。
古くより人が居住していた地である様である。

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2016.10.2
埼玉県さいたま市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

関神明神社(さいたま市)

創建年代は不詳です。
近くにある東福寺というお寺のの守護として祀られたのではないかと言われています。
神社の隣には市域最大の規模の神明神社古墳と呼ばれる円墳があります。
古墳時代後期、六世紀後半から七世紀前半頃に造られたと考えられています。

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2016.10.2
埼玉県さいたま市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

田島氷川社(さいたま市)

創建年代は不詳の様です。
田島村・新開村・道場村・町谷村・西堀村・関村・鹿手村の七ヶ村の鎮守であった様です。
慶安2年(1649)には徳川家光より社領7石の御朱印状を拝領したといいます。

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江戸時代より続いている田島の獅子舞という奉納行事があります。
寛永年間(1624年から1643年)には上野輪王寺宮の台覧を賜り、その時、菊花の御紋を付けることが許されました。獅子頭に菊の紋型を付けた大獅子・女獅子・中獅子の3頭の獅子が、勇壮な中にも気品が漂う舞いを披露します。

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2016.10.2
埼玉県さいたま市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

田島御嶽神社(さいたま市)

境内の掲示によると永仁3年4月(鎌倉時代)の創建と伝えられるそうです。
木曽御嶽山王滝開祖普寛行者が天明年代(江戸時代)本神社に於いて根本修行したと伝えられているようです。
普寛行者が木曽御嶽山王滝口開山という偉業を成し遂げた後の全国巡教の折、本神社で参拝修行をし、木曽御嶽神社の分社として奉祭したとのこと。

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2016.10.2
埼玉県さいたま市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

鹿手袋八幡社(さいたま市)

創建年代等は不詳です。
もと宝泉寺の境内に祀られていたと伝えられています。
仏法守護の神として勧請されたものだと考えられます。

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2016.10.2
埼玉県さいたま市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

お散歩

綾瀬川沿いの桜並木に沿って彼岸花が咲いていた。

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2016.9.25
埼玉県草加市

テーマ : スナップ写真
ジャンル : 写真

プロフィール

Toshi ♪

Author:Toshi ♪
単身赴任中のおっちゃんのブログ。
ぼちぼちやってます。

毎日更新を目標にしてますが、すぐに挫折の日々(笑)

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