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治兵衛稲荷神社

江戸時代(慶安年間)治兵衛という人がこの付近一帯を開拓した。
そのとき村の鎮守として山城国伏見稲荷大社の分霊を勧請したと言われています。
江戸時代には代官所の守護神として崇敬されていた様です。

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2016.11.6
東京都江東区
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テーマ : 史跡・神社・仏閣
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高平稲荷神社

砂町銀座の中ほどに鎮座する稲荷神社である。
江戸時代の寛永年間に美濃の稲葉長門守の亀高の屋敷の鎮守として創建された。
それが、元禄時代に砂町方面の開墾に際して鬼門除けとして遷座したという。
赤穂浪士の堀部安兵衛は、高平稲荷に記念樹を植えたと伝えられています。

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2016.11.6
東京都江東区

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亀高神社

江戸時代(寛永年間)この辺りでは新田開拓が行われました。
この際に五穀豊穣の神としてこの神社が創建されたと言われています。
寛保元年には徳川吉宗が鷹狩りの際に百姓次郎兵衛に立ち寄られたときにこの社を参詣したという記録もあるようです。

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2016.11.6
東京都江東区

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東大島神社(江東区)

かつてこの辺りにあった永平稲荷神社・子安稲荷神社・小名木稲荷神社・北本所牛島神社・南本所牛島神社の五社は
昭和20年の大空襲により焼失しました。
そこで五社の総代、有志が集まり五社の合併を決定し昭和24年に東大島神社が創立されたとのことです。

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2016.11.6
東京都江東区

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亀出神社

寛文12年(1672)に亀戸出村(大島村)にあった霊巌寺領の鎮守として創建したといいます。
竪川が万治3年(1660)に掘られた際に、亀戸村から切り離されたために、亀戸出村と呼ぶようになったと思われる。

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2016.11.6
東京都江東区

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子安稲荷神社

元禄時代の中頃に村民によって鎮座された稲荷神社です。
出産の祈神霊の力により、子を安く産むという伝説により、何時のころからか子安神社と称するようになったといいます。
明治の末頃現在の高砂鉄工所門前近くにあった様ですが、昭和30年頃工場拡張工事の際、現在地にて遷座したようです。

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2016.11.06
東京都江東区

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五柱稲荷神社

徳川八代将軍吉宗の世代に植村土佐守正朝が京都伏見稲荷を勧請して創建したといいます。
盗難除けの信仰があり、神域の土を家におけば盗難のおそれなく、商売繁昌にも通じると商家などはこぞって参拝した様です。

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2016.11.6

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榎稲荷神社

天和3年(1682)菊川の堤に建立されました。
当初は土手稲荷と称していたようです。
その後大久保紀伊守の邸内社となり、境内に林立する榎により榎稲荷大明神と称したといいます。
関東大震災の後現在の場所にへ移転したようです。

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2016.11.6
東京都墨田区

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元徳稲荷神社

境内掲示板には以下の記載があった。

河村徳右衛門氏が未だ三河岡崎に在った時、河村家の氏神様として、名匠に依頼して彫刻させ、伏見稲荷社より神璽を遷してお祀りしたのが始まりである。
徳川家康が江戸城を開いた折、河村氏も江戸に出府を命ぜられ、神田川沿岸に土地を賜り、町名を徳右衛門町と称した。その際、稲荷神社も江戸の邸内に移された。そして、二代目徳右衛門の妻女が、難性の腫物を患い稲荷神社に祈願して平癒した。それを聞いた町の人々が三々五々お参りし、平癒すると土地の産物である里芋を供えてお礼をした。
明暦3年(1657)江戸に大火(通称「振り袖火事」)があって、幕府は火災に強い町づくりを進め、このニュータウン計画により河村家は本所(立川3丁目付近)に移封され、この処を徳右衛門町と称して、稲荷神社も移祀した。しかし、その後も参拝する人が絶えず、多くの参拝の便を考え、屋敷内から三ノ橋畔に移祀した。
邸内にあった時は正一位稲荷大明神と称していたが、三ノ橋畔に移祀したのを機に元徳稲荷神社(元徳右衛門邸内にあったお稲荷さんの意)と改称した。近在に飛火という腫物の病が大流行した折、里芋を供えて平癒祈願したと伝えられている。

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2016.11.6
東京都墨田区

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大久保稲荷神社(江東区)

江戸時代このあたりには堀があった。
幅が5間の堀と、6間の堀があり、それぞれ五間掘、六間堀と呼ばれていた。
戦後戦災の瓦礫によって埋め立てられて今では道路や公園として、当時の町割りを残すのみである。
五間掘りが鋭角に折れ曲がったところに、旗本大久保豊後守五千石の屋敷がありました。
その邸内にあったお稲荷さんが今に残り、大久保稲荷神社として幕臣大久保豊後の名を残しています。

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2016.11.6
東京都江東区

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深川神明宮

江戸時代初期、隅田川河口、深川一帯は葦のしげる三角洲で住む人もいなかった。
摂津の深川八郎右衛門が一族を率いて、このあたりを開拓し、伊勢神宮の分霊を祀ったのが、深川神明官の創建である。
徳川家康が江戸入国の時、慶長元年(一五九六)当地を巡視し、地名を尋ねたが、住む人も少なく、地名も無いと答えると、家康は八郎右衛門の姓「深川」を地名とするように命じたという。

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2016.11.6
東京都江東区

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江島杉山神社

盲目の鍼灸師杉山検校が元禄6年(1693)当地に屋敷地を拝領、彼が修業した江の島の弁天岩窟を模して屋敷内に創建したといいます。
明治時代に、江の島弁財天を祀った江島神社と杉山検校を祀った杉山神社とを合祀して江島杉山神社となりました。
杉山検校は若年のころ失明し、家が貧しかったので、一念発起、江の島の岩窟にて断食祈願し、満願の前夜夢に弁財天より鍼術を感応、その後寝食を忘れて修練し、ついに杉山流の鍼術を創始しました。
のち五代将軍綱吉に鍼治を奉り、本所一つ目に方1町(12,000平方メートル)の土地を拝領しました。ここに総禄屋敷を建て、その西隣に弁財天の一社を建立したのが始まりです。
江の島の弁天岩窟を模した洞穴があり、奥深く弁財天が祀られています。

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2016.11.6
東京都墨田区

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川上稲荷神社

江戸時代に将軍家の御上場だった場所(新柳町)に稲荷社を創祀した様です。
江戸時代末期の切絵図にも描かれていようです。
明治維新後数年して現在の場所に遷座したとようです。

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2016.11.6
東京都中央区

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金網稲荷神社

慶長年間のある夜、江戸の運送業を始めた京屋弥兵衛の枕元に王冠白衣を着た神霊が現れ「汝の篤信のため、汝に黄金の網を授ける」と神託を残し消えていきました。
そこで金網をとって社名を金網稲荷大明神にしたと伝えられています。
生業の発展や道中安全、奉公人の家内安全に霊感あらたかだそうです。
社名を変えてから京屋の飛脚は道中で一切山賊に遭うことはなくなり厄除け・交通安全にも霊感があると言われるようになりました。この弥兵衛の運送業がのちの日通であるということです。
そう言えば幟にも日通の文字が見えますね。



2016.11.6
東京都千代田区

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草分稲荷神社

元々、板倉主計頭邸内に祭られていましたが、明治維新の後、武家屋敷が取りはらわれて町家と変り祠のみが残っていました。
廃れゆく稲荷を惜しんだ町内の有志が蓄財を出し合い保存と祭社の策を講じていたもので昭和三十六年佐久間公園東北隅に遷座されて現在に至る様です。

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2016.11.06
東京都千代田区

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大国神社(狭山市)

江戸時代末頃、甲田家先祖佐右衛門が信州木曽の霊岳「御嶽山」により創立し、明治15年御嶽教と称し、一教会として独立を許可されました。
その後、明治24年4月4日に御嶽教管長鴻雪爪殿より布教許可を、同時に御嶽大神奉斎主神に神霊を賜りました。

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2016.11.3
埼玉県狭山市

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子ノ神社(狭山市)

かつて存在した慈眼寺というお寺の境内にありましたが、慈眼寺の消失によって一時、諏訪神社境内に遷されました。
さらに諏訪神社の社殿改築の際、ある者が御神体を家へ持ち帰ったところ、悪疫にかかったため、恐れて奥富村のある家へ遷されました。
しかし、その家でもまた一家が悪疫に襲われたため、元の諏訪神社境内に仮宮を建てて祀り、のちに子ノ神町内に社殿を建築して御神体を遷したと言う伝承が残されています。

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2016.11.3
埼玉県狭山市

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天満天神社(狭山市)

建立年代は不詳の様である。
江戸時代から明治中期にかけて入間川を利用した西川材搬出の筏流しがこの地に一泊したり、
取り引きの江戸商人が逗留し、宿屋や遊廓などに金が落ちたことによりこのあたりの商家は繁栄していた様である。
経済的に恵まれていたため、文化面に興味を示したところから、学芸の向上を願って天満天神の杜を勧請したと伝えられている。

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2016.11.3
埼玉県狭山市

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諏訪神社(狭山市)

長野県の諏訪大社を分祀した神社である。
入間川右岸の河岸段丘上に鎮座している。
入間川寄りにはかつては、清水が湧き出ている池があった。
この池はお諏訪様の池と呼ばれ、次のような伝説があるという。

村人が畑仕事を終え、池のそぼを通りかかるとにわかに水が吹き上がり、竜神が狂ったように悶え苦しんでいた。
これを見た村人は、たまたま手に持っていたナスを竜神に与えたところ、竜神の苦しみはたちまち和らいだという。
以来、竜神はこれを感謝し、村人が病に苦しまぬように守護することを誓った。
そのため、村では毎年夏になると竜神にナスを山のように供え、このうちのいくつかを受けて帰る習わしになったという。

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2016.11.3
埼玉県狭山市

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七曲井戸

武蔵野台地は砂礫層地で削井技術が未発達の時代には竪堀井戸を掘ることが困難であった。
そのため漏斗状の窪地を掘り、底の部分から更に垂直の井戸を掘った構造の井戸を掘っていた。
井戸の形が蝸牛の殻に似ている事から「まいまいず井戸」と呼ばれている。
この井戸は平安時代前期に武蔵国府により掘られたと言われている。
古代の官道東山道武蔵路の枝道「入間路」に遡る鎌倉街道上道の本道沿いあり、旅行者などにより
盛んに使用されたものと見られ、江戸時代に至るまで井戸として機能していた様である。

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2016.11.3
埼玉県狭山市

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Toshi ♪

Author:Toshi ♪
単身赴任中のおっちゃんのブログ。
ぼちぼちやってます。

毎日更新を目標にしてますが、すぐに挫折の日々(笑)

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