FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

橘樹神社(横浜市)

文治2年(1186)の創建したといわれまています。
源頼朝天下平定を賀し、子孫繁栄を祈願して、京都祇園社の御分霊を勧請した様です。
江戸時代は牛頭天王社といい、この神社のある町名(天王町)の由来であるとのこと。

IMG_3408_20180212171526116.jpg

IMG_3412.jpg

IMG_3415.jpg


2017.10.1
神奈川県横浜市
スポンサーサイト

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

戸部杉山神社(横浜市)

白鳳3年(663年或いは675年)の創建と伝えられています。
この地の開拓の祖神として出雲大社の御分霊を勧請した様です。
江戸時代には戸部村(小名:野毛、西、石崎、羽澤、海、洲乾湊)の鎮守社だった様です。

IMG_3399.jpg

IMG_3401_20180212124407207.jpg

IMG_3403_20180212124408de7.jpg


2017.10.1
神奈川県横浜市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

One Day -ある日- #093

One Day -ある日-



IMG_3397.jpg














2017.10.01
神奈川県横浜市

テーマ : ある日の風景や景色
ジャンル : 写真

tag : ある日-OneDay-

平沼神社(横浜市)

この地に新田開拓した平沼九兵衛というものが、平沼新田の鎮守として天保10年(1839)に水天宮を奉祀したのが始まりのようです。
明治初年には平沼神社と改称した様です。
社殿は初め平沼橋付近の横浜道沿いにあったが、市街の発展により三度も位置を転じ、大正二年現在地に鎮座した様です。

IMG_3393_201802091721271b7.jpg

IMG_3394_20180209172127f01.jpg

IMG_3395.jpg


2017.10.01
神奈川県横浜市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

One Day -ある日- #092

One Day -ある日-



IMG_3391_201802091631032e2.jpg















2017.10.01
神奈川県横浜市

テーマ : ある日の風景や景色
ジャンル : 写真

tag : ある日-OneDay-

芝生(しぼう)浅間神社(横浜市)

源頼朝が浅間神社を勧請して造営されたと伝えられている。
このあたりは、入江に面した川の河口で、港として栄え、江戸時代は東海道五十三次の神奈川宿と程ヶ谷宿の間の宿であった。
境内には古代の横穴墓があり、浅間神社境内横穴古墳群とよばれている。

IMG_3380.jpg

IMG_3381.jpg

IMG_3382.jpg

IMG_3384_20180209162602ca4.jpg


2017.10.01
神奈川県横浜市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

One Day -ある日- #091

One Day -ある日-



IMG_3377_20180209161005268.jpg














2017.10.01
神奈川県横浜市

テーマ : ある日の風景や景色
ジャンル : 写真

tag : ある日-OneDay-

One Day -ある日- #090

One Day -ある日-





IMG_3390_2018020916073825c.jpg



















2017.10.01
神奈川県横浜市

テーマ : ある日の風景や景色
ジャンル : 写真

tag : ある日-OneDay-

玉川上水を歩く #9

川の立体交差をご存じだろうか?
伏せ越しといい、サイフォンの原理を応用し川底の下にトンネルを設け水を流す方式である。
玉川上水にも伏せ越しにより、河川の下を通っている箇所がある。

もちろん玉川上水開削当初からこのような伏せ越しがあったわけではない。
ここで交差している川は残堀川といい、もともと東の立川断層沿いに流れていたが、上水開削時に流路変更され、玉川上水に合流して助水として利用された。
残堀川流域の生活水の混入などの理由により、明治40年頃、現在の位置で水道橋により玉川上水と交差する方式(玉川上水が上)に改められた。
しかしながらたび重なる氾濫により残堀川の改修を行われ、昭和38年に現在の形態(伏せ越しにより玉川上水が下)となった。

IMG_4797_20180209155659814.jpg

IMG_4800.jpg

IMG_4802.jpg


2018.01.07
東京都立川市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

tag : 玉川上水

玉川上水を歩く #8

玉川上水が開削から3年後、このあたり(砂川新田)の住人の願いにより分水が許可されました。
砂川分水はもともとわずか一里(約3,930m)ほどの長さでありました。
明治三(1870)年玉川上水通船をきっかけとする分水口の統廃合とほぼ同時期に深大寺用水が開削されたため、他の幾つかの分水と繋がって総延長25.6キロメートルになったそうです。

IMG_4785_2018020915300463a.jpg

IMG_4784_2018020915300042a.jpg

IMG_4789_2018020915300379d.jpg


2018.01.7
東京都立川市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

tag : 玉川上水

玉川上水を歩く #7

拝島駅の近くに、日光脇往還が玉川上水をまたぐ位置に建設された橋がある。
1891年に建設され、全長16.1mの煉瓦積みアーチ橋だそうだ。
1950年に交通量の増加に伴い両側をコンクリートで拡幅しているためレンガ造りの姿は拝めない。
現存する同種の橋の中では日本最古とのこと。

IMG_4762.jpg

IMG_4765_2018020914581441e.jpg

IMG_4766_2018020914582125d.jpg


2018.01.07
東京都福生市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

tag : 玉川上水

玉川上水を歩く #6

JR八高線、青梅線、五日市線が拝島駅に流れ込むあたりに「みずくらいど公園」がありました。
この不思議な名前は、江戸時代、玉川上水の堀を掘っても掘っても厚い砂利層が水を吸込んだことに由来しています。
自然のままの雑木林をそのまま利用した事で起伏に富んだ公園となっています。
傍らを玉川上水がゆったりと流れています。

IMG_4757_20180209143622136.jpg

IMG_4759_20180209143622dd8.jpg

IMG_4760.jpg


2018.01.07
東京都福生市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

tag : 玉川上水

堰上明神社(福生市)

創建等の由緒は不明の様です。
昔多摩川洪水が起こった時、ご神体が川岸に漂着したといいます。
それを村人が関上明神と崇め祀ったことが起源と言われています。

IMG_4730.jpg

IMG_4731.jpg


2018.01.07
東京都福生市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

tag : 玉川上水

玉川上水を歩く #5

玉川上水からは数多くの分水が取水されている。
熊川村(現:福生市大字熊川)にも、分水があり熊川分水と呼ばれていた。
熊川村は多摩川沿いの崖線の上に位置する水に乏しい集落で、井戸に頼っていた。
古くは寛政3年(1791)に工事の願いが提出されたが実現せず、明治期に入って
からは石川弥八郎(弥八郎は襲名、本名は千代蔵)が酒造米の精白のための水車
の稼動を目的として計画、紆余曲折を経て明治19年に東京府知事へ上願書を
提出、許可が下りた。
いまも老舗の酒蔵、石川酒造の敷地内を分水は流れている。

IMG_4732_20180209132558546.jpg

IMG_4728_20180209132600887.jpg

IMG_4729.jpg


2018.01.07
東京都福生市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

tag : 玉川上水

玉川上水を歩く #4

困難を伴って開削された玉川上水ですが、完成後も様々な困難に遭遇しました。
羽村市と福生市の境界付近から下流にかけて約600mの区間は、当時は上水は多摩川本流に近接していました。
そのため、たびかさなる多摩川の出水によって玉川上水の土手がしばしば崩壊し、土手の管理と修理に多大な労力と費用がかかっていました。
このままでは通水に支障が生じる事態も起こりかねないと、開削から約90年後の元文5年(1740年)の夏から秋のかけて、代官上坂安左衛門の掛かりで新田世話役川崎平右衛門により、堀が多摩川から40mほど東に離して掘り替えられました。
旧堀跡は、現在「加美上水公園」内に遺構として残されています。

IMG_4719_20180209130731031.jpg

IMG_4720_20180209130725607.jpg

IMG_4715_201802091307250e1.jpg


2018.01.07
東京都福生市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

tag : 玉川上水

玉川水神社(羽村市)

玉川上水築造に尽力した玉川庄右衛門・玉川清右衛門が承応年間(1652-1654)に創建し、幕府が管理していたと言われています。

IMG_4702.jpg

IMG_4703.jpg


2018.01.07
東京都羽村市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

tag : 玉川上水

玉川上水を歩く #3

取水された水の大部分は、取水堰の下流約500メートルに位置する第3水門から埋設鉄管によって山口貯水池(狭山湖)・村山貯水池(多摩湖)へ送水され、最終的には東村山市にある東村山浄水場で利用されるそうである。
狭山湖や多摩湖の水は、多摩川の水だったのだ。
ここで取水されなかった水は、さらに玉川上水を流れてゆく。

IMG_4691.jpg

IMG_4694.jpg

IMG_4697.jpg


2018.01.07
東京都羽村市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

tag : 玉川上水

玉川上水を歩く#2

羽村取水堰で取水された水は、用水を東流し江戸に送られていた。
現在もこの水の大半は東京都の水道にしようれている。

上水工事は総奉行に老中で川越藩主の松平信綱、水道奉行に伊奈忠治(没後は忠克)が就き、庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)が工事を請負った。
羽村から四谷までの標高差が約100メートルしかなかったこともあり、引水工事は困難を極めた様である。
当初は日野から取水しようとしたが、開削途中に試験通水を行ったところ“水喰土”(みずくらいど; 浸透性の高い関東ローム層)に水が吸い込まれてしまい、流路を変更。2度目は福生を取水口としたが岩盤に当たり失敗した。
最終的に現在のルートで工事を再開し、約半年で羽村・四谷大木戸間を開通したという。

取水堰近くには、玉川兄弟の像が今も流れを見守っている。

IMG_4682.jpg

IMG_4685.jpg

IMG_4688_20180209115351ca0.jpg

2018.01.07
東京都羽村市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

tag : 玉川上水

玉川上水を歩く #1

玉川上水は、かつて江戸の人口急増に対応するために江戸市中へ飲料水を供給していた上水(上水道として利用された用水路)である。
三代将軍徳川家光の時代から計画され、承応2年(1653)4月4日着工し、248日間の工事の後、同年11月15日、多摩川羽村取入口から四谷大木戸まで高低差92メートル、全長約43キロを完成させた。
一部区間は、現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されている。

写真は多摩川から上水の水を取水する羽村取水堰

IMG_4683.jpg

IMG_4681.jpg

IMG_4679.jpg

2018.01.07
東京都羽村市

テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

tag : 玉川上水

プロフィール

Toshi ♪

Author:Toshi ♪
単身赴任中のおっちゃんのブログ。
ぼちぼちやってます。

毎日更新を目標にしてますが、すぐに挫折の日々(笑)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
最新記事
訪問者数
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。