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上神明天祖神社

言い伝えによると鎌倉時代の文永八年(1271年)に北条重時の五男・時千代が、仏門に入り法圓上人となり、大森(現在の大田区)に厳正寺を開き、その家臣が蛇窪(現在の当地付近)に住み着いた。
後の元亨2年(1333年)に厳正寺の僧侶が池の竜神へ雨乞いの祈願したところ、慈雨が降ってきたのでそれに感激した時千代の旧臣らが当地にも神社を勧進し祀ったというのが始まりであるという。
その後、蛇窪村(江戸時代の当地の地名)が上蛇窪村と下蛇窪村に分かれた正保年間(1644年から1647年)に、天祖神社が上神明天祖神社と近隣の下神明天祖神社とに分かれたと言われている。

上神明天祖神社には白蛇縁起が伝わっており、内容は以下のとおりである。
鎌倉時代、天祖神社の社殿の左横(現在の消防団詰所付近)に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいました。
時移り、いつのまにか洗い場がなくなり、やむなく白蛇は現在の戸越公園の池に移り住むようになりました。
あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「一日も早くもとの住みかに帰してほしい」と懇願しました。
森谷氏はこの話を宮司に伝えて、白蛇をもとにもどすよう願い出ました。宮司は弁天社【琵琶を奏でる姿から音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、安芸の宮島厳島弁天社の御分霊である弁財天を祀る】を建立することに決め、現在の駐車場地に 池を掘り、池の中央に小島を設け、その中の石窟に石祠を造って白蛇を祠ることにしました。古老の話によれば白蛇を迎える日の夜、いよいよお迎えの祝詞を奉上しようとしたとき、それまでの輝くばかりの星空が一天にわかにかき曇り、雷鳴とともに大風が立ち起こり、そのさまは身のすくむ思いだったということです。

また、荏原七福神のひとつ弁財天を祀っている。

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2015.1.11
東京都品川区
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テーマ : 史跡・神社・仏閣
ジャンル : 写真

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