蟹満寺
この寺の創建年代や由緒についてはついては不詳であるが、周辺の発掘調査から飛鳥時代後期(7世紀末)の創建と推定されている。
その後、江戸時代の正徳元年(1711年)智積院の僧亮範が入寺し再興された。今昔物語集等に記載がある蟹の恩返しの伝承で有名である。
地名綺田(かばた)は、古くは「カニハタ」「カムハタ」と読まれ、「蟹幡」「加波多」などと表記された。
寺号についてもかつては加波多寺、紙幡寺などと表記されたものが蟹満寺と表記されるようになり、蟹の恩返しの伝説と結びつくようになったものであると考えられる。
この伝説が『今昔物語集』に収録されていることから、蟹満寺の寺号と蟹の報恩潭との結びつきは平安時代後期以前にさかのぼることがわかる。
2015.6.28
京都府木津川市
その後、江戸時代の正徳元年(1711年)智積院の僧亮範が入寺し再興された。今昔物語集等に記載がある蟹の恩返しの伝承で有名である。
地名綺田(かばた)は、古くは「カニハタ」「カムハタ」と読まれ、「蟹幡」「加波多」などと表記された。
寺号についてもかつては加波多寺、紙幡寺などと表記されたものが蟹満寺と表記されるようになり、蟹の恩返しの伝説と結びつくようになったものであると考えられる。
この伝説が『今昔物語集』に収録されていることから、蟹満寺の寺号と蟹の報恩潭との結びつきは平安時代後期以前にさかのぼることがわかる。
2015.6.28
京都府木津川市
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